引き戸を開けると三十センチかける一メートル五十センチ程度の小さな板場、そして四畳半の畳の部屋と一間の押し入れと天袋。
畳には万年床の煎餅布団と簡易的なちゃぶ台。窓は西向き。壁には本棚と文机が並び大学の授業で使う教科書と共に何冊かの平凡パンチが置かれ、そして松田聖子と甲斐智枝美の大きなポスターが最高の笑顔でこちらを見つめていた。

ここが武雄の東京人としての住処だった。
「びっくりしたぜー突然なんだもんよーハハハ」。
寝起きの武雄は東京弁で尚太郎の訪問を大変喜んだ。
「よし、東京を案内してやる、どこに行きたい? どこにでも連れてってやるぜ」
武雄は眩しいほど東京人になっていたが、片膝を立てたガラパンと太ももの隙間からポロンとチンチンが出ていたのは残念だった。

東京で初めて迎える夜は刺激的でエネルギッシュな時間そのものだった。
どこにでも連れてってやると言った武雄だったが仕送りとバイト代と奨学金が底をつきそうとのことで高円寺散歩となった。
この街に点在する幾つものライブハウスの前を通るたびに、この店はこういう系統のバンドが多く出演して、店内は入り口にバーカウンターがあってそこでドリンクを頼み、好きな席に座ってなどと細かく説明してくれた。
店内に入ることはなかったが尚太郎には十分すぎる貴重な体験だった。
夜は武雄の部屋で尚太郎の歓迎会となった。
午前中に遭遇したアパートの住人のパジャマと下着の女と奈緒美も参加してくれた。当然普段着で。

そして武雄の大学の友人、奥平徹に囲まれながらワイワイとやった。
下着の女の恋窪サチ子は奈緒美と同じ美大に通う三年生で将来は出版に関係するアートデザイナーを志している。
パジャマの片倉よしえはプロのミュージシャンを夢見てバンド活動をする二十歳だと知った。
奥平の実家は百年も続く広島の酒造所で卒業後は実家に帰るので「大学での四年間はトコトン遊ぶんじゃ」と豪語するお坊ちゃんだ。
みんながそれぞれの夢を持っていた。
尚太郎は同年代の彼らの夢の話にワクワクとなっていた。

令和2年5月19日