奈緒美のお別れ会は住人たちの笑い声が途切れることはなかった。
酒の勢いと本音が混ざりあい、東京を捨てて大阪行きを決めた奈緒美を非難する言葉も飛んだが、奈緒美は使ったことのない大阪弁で切り返した。
「修行やん」
知らない街だけど、そこで自分の根性を鍛えて、自信をつけて、で、必ず東京に戻ってくるよと笑った。
「奈緒美なら大丈夫」。
そう言ってコップをかかげた同級生のサチ子も希望していた職を手にしていた。伝統ある集英社からの内定をもらっていたのだが選択したのはリクルートフロム・エー社だった。東大の大学新聞を作っていた者たちが創業した新鋭のアルバイト求人誌の会社である。
「就職の理由? かんたーん(笑)。新卒の初任給もいいしー会社の雰囲気が若かったんだよねー。だってさーセンスあると思うんだよねーあの会社、今まで定職につかない人ってプー太郎プー子って呼ばれていたのに、あの会社の雑誌でそいつらをフリーターって呼びはじめて、それを一般的にしちゃったんだよ、そのセンスと勢いってすごくなーい(笑)。あとはー気難しい中年に使われるより感覚が近い人に使われた方が楽しいと思うし」、と笑顔をみせた。
「その会社、サチにぴったりだと思う、サチの就職にカンパーイ」
今度は奈緒美が嬉しそうにグラスをかかげた。
サチ子は就職後も「やしろ荘」で生活をすることを決めていた。「え〜お給料がいいんだったらこの近所でお風呂付のマンションに引っ越してよ、私のためにー」と甘えた声のよしえに倹約家のサチ子は言った。
「いいところに引っ越したって所詮は賃貸だし、そんなのはお金の浪費だよ、もったいないじゃん。私が次に引っ越すときはワンルームマンションを買うときかな」
サチ子の壮大な夢に住人たちは「おおおー」と拍手をして笑いあった。
昭和60年。1985年、小泉今日子の「なんてったってアイドル」やおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」がバブル時代をイキイキと泳ぎ、全ての人間にさまざまなチャンスがあると思わせてくれた。
ちなみにこの頃、その後の人生で涼風せいらの仕事のパートナーとなる鳳ランランこと矢崎光一は「うしろゆびさされ組」の高井麻巳子の追っかけをしていた。
大学を卒業して社会人になっていく二人の女性を尚太郎は眺めていた。
三歳年上の女性たちは大人だった。たった三歳なのか… 三歳もなのか…
二人を眺めているとき奈緒美と目があった。
その瞳は、
尚太郎くん、キミは何をしに東京に来たんだっけ?頑張るんだよ。
そう訴えていた。
翌朝。奈緒美は、じゃあね、と軽く手を振って買い物に出かけるように「やしろ荘」を去っていった
令和2年6月9日