54.明日はそこにあるはず 23話

「ダメだ…」

 小さく息を吐いた才蔵は独り言を呟き、席を立った。アロハ・オギクボの言う通りだ、自分の小さな正義感のために、この舞台に賭けてきた人たちの生活を壊すことはできないと感じたのである。

本番三十分前の楽屋は戦争のような慌ただしさだ。

 気持ちを切り替え、自分の化粧鏡前に座りメイクをはじめようとしたとき、机に置いておいた菓子の袋が破られていることに気がついた。昼間の公演時に福岡時代の友人が差し入れをしてくれた「博多通りもん」は才蔵の大好物で、本日の公演終わりの一口を楽しみにしていた逸品を誰かが勝手に食べたのだ。

くそ…どうなっているんだ、この座組みは。シャブをやってる奴もいる、かっぱらいもいる、なんなんだこの現場はと憤慨していると大先輩のオカダ三太がやってきて話しかけてきた。

「才蔵ちゃん、どうした? 顔が暗いよ。笑顔だよ笑顔。楽屋というのは楽しい部屋って書くから楽屋、わかる? 僕たちはこれから楽しいことをお客さんに提供するんだから、どんなことがあっても笑顔でいなきゃだよ、ね」と優しく話すオカダ三太の唇に「博多通りもん」の食いカスが付着していた。

「あら大変! 最後の仕上げを忘れてたわー」、と涼風の声が楽屋内に響いた。

何ごとかと思えばトイレに行くだけの話で、近くにいた役者たちが「いちいちが大袈裟すぎー」「早く行っトイレ」などと笑って見送った。

その姿を見ていた才蔵が「あ…」となった。

楽屋を出て行く涼風の手には涼風が本番中に小道具で使う真っ赤な巾着袋が見えた。

全てがわかってしまった…。

そうだったのか、あの袋の中に…。

そして「最後の仕上げ」としてトイレで…注射器を…または錠剤なのか…。とにかくだ、あの中にブツがあるんだと才蔵は見抜いた。

その才蔵をじっと睨み見ていたのはランランだった。

【つづく】

令和2年6月23日