気がつくと目で涼風を追っていた。
夜のソワレ公演まで一時間を切り、楽屋の中は俄かに忙しくなってくる。喉の調子を整えるために発声をはじめる者、自分の小道具や衣装のチェック、メイクの準備をする者とそれぞれがそれぞれの時間へと傾注していく中、城戸才蔵の目は自席の化粧鏡に反射して映る涼風を眺めていた。
(あの人がシャブを?)
本当にやっているのか? やっているとしたら…どうしたらいい…? 見て見ぬふりをするべきなのか…いや犯罪だぞ、そんなことを看過していいわけがない。
才蔵の実家は九州福岡県糸島市、筑肥線筑前前原駅から徒歩十分のところにある。厳格な父親が警察官を辞めて長距離トラック運転手に転職をしたのは才蔵が十歳のときだった。
学校帰りに時々見かけた父の制服姿が自慢だったが、その姿を二度と見られない寂しさと、子どもながらに、なぜ辞めたのだろう…という疑問はあった。その年、些細なことでクラスメイトと喧嘩になったときに言われた言葉が忘れられない。
「ズルしたんは才蔵やろ、謝れや、おまえん父ちゃんもズルしたけんお巡りしゃんば辞めたんやろー」
才蔵はそれ以来、人と揉めたことがない。
正しく生きてればいいのだ、正しく生きることによって父を冒涜する人はいなくなるのだ。父親の転職の理由は未だに謎のままだが、今となってはどうだっていいし、胸を張って言えることは、父はズルをして警察官を辞めたのではないということだ。なぜなら、父は今でも以前勤務していた糸島警察界隈に逃げも隠れもすることなく堂々と住んでいるのだ。
才蔵の心の正義は父親のDNAである。
涼風のことをトコトン調べてみようと思った。アロハが言っていたことが事実と判明したときは迷わずに警察に連絡をすると決めた。さてと、どうやって近づく?
ン? 俺を愛してるだと?
どうする…飛びこむか…。
鏡の中に見える涼風をじっと眺めていた。
令和2年6月18日