64.雨のち晴れ 1話

 どれくらいの時間、この公園のベンチに座っていたのだろうか…いや正確にはベンチで寝ていた。腕時計を見た尚太郎は大きな口を開けて伸びをした。

 長野県上田の家を飛び出した尚太郎が東京での三年目の夏を迎えようとしている。

 「やしろ荘」住人たちの後押しを受けた尚太郎は東京宝映テレビの養成所に通いはじめるための入所金十万円を奥平と北別府から借りて、意気揚々と丸ノ内線の国会議事堂駅から歩いて十分ほどの稽古場へと向かった。

               

 稽古場には明日のスターを夢見る男と女、少年少女とその保護者たちで溢れていた。目の前に現れた演技レッスンの先生の言葉ひとつひとつが尚太郎には新鮮で且つ刺激溢れるもので、芸能界で生きていくことへの重さを肌に感じさせてくれた。

「私は厳しいよ、ダメなものはダメ、何度でも鍛え直します。いいものはイイ。このお仕事はわかりやすい世界です。石にかじりついても食らいつく覚悟を持ってください」。

特に響いたその言葉に、なにがなんでもくらいついてやる、と明日を夢見た。

 レッスンが進んでいったある日、ダメなものとイイもののクラス分けが行われ、尚太郎はダメなものに選別された。尚太郎以外は全員小学生で、やることといえば早口言葉と外郎売の繰り返しだ。小学生たちは楽しそうだが尚太郎は腐った。

次第に先生が嫌いになり、無断欠席をする回数も増え、養成所で三原じゅん子を見かけることもなく国会議事堂駅の改札を通ることがなくなり、尚太郎の夢は消えていった。

「やしろ荘」にも動きがあった。

「私が次に引っ越すときはワンルームマンションを買うとき」と豪語していた倹約家のサチ子だったが、入社半年後に会社の家賃補助システムを利用して風呂つきの鉄筋マンションへと意気揚々と引っ越しをし、アパートに女ひとりとなってしまうと知ったバンドマンのよしえは、「じゃあ私も」とサチ子とほぼ同時期に「やしろ荘」から姿を消した。

 殺風景となりつつあった「やしろ荘」だったが新しい住人もやってきた。

植松浩輔と鮫島慎一。

植松浩輔(寿里) 鮫島慎一(本田礼生)

【つづく】

令和2年7月3日