36.明日はそこにあるはず 5話

 武雄の部屋は笑い声に包まれていた。

                

 武雄と奥平、尚太郎、奈緒美、サチ子、よしえ、北別府義一が酒を飲み鍋をつつきあいながら奈緒美との想い出話に笑いあっている。

              

 鍋奉行として活躍しているのは「やしろ壮」の年長者の北別府である。

                 

「あーだめだめ、その肉はまだ煮えていないから箸つけない、つけないよー。あれ? おや? みりんの味が足りないな。足しまーす、あーだから勝手に食べちゃダメだってばー味が染みてないだろーどうしてキミたちの食べ方はそうやって下品なんだよ」。

     

             

神経質に怒る北別府をみんなが笑った。

             

 北別府義一。

         

尚太郎が初めて「やしろ荘」を訪ねてきたとき、武雄の存在を訊ねた尚太郎に「ああ、彼、まだ寝てんじゃないのかな?」と言ったスーツ姿の男である。

                     

15.さよなら父さん 12話より

             

 弁護士を目指している北別府は司法試験合格を目指し、来年こそはと危機感を募らせながら日々勉強に励み勤しんでいた。大学卒業後も親からの仕送りを頼りに生活をしていた男は親の負担を減らしたいと考えて安アパート「やしろ荘」の住人となったのは二年四ヶ月前のことである。

                  

身も心も貧しい自分には身の丈にあったアパートだ、ここで一念発起だと己を鼓舞したのだが、先住人たちの自由さには驚き、そして苛立つ毎日となった。

              

 武雄と呼ばれている男は毎晩のように部屋にやってくる友人とくだらない話を大声で笑いあい、住人の女たちは我が家のように下着同然の格好をしながら廊下を闊歩している。

                

                

 特に苛立ったのは共同スペースだ。玄関、洗面所、便所の使い方にモラルがなく、気がつけば北別府が毎日の便所掃除をしていた。

                  

 そんな自分の性格にも嫌気がさした。勉強がはかどらないと嘆き、引越しを考えた。だがこれ以上は親に金の無心はできない思い、あの日…。

              

 二年前のあの日は弁護士事務所へのバイト面接に出かける朝だった。今日はいいことがありますように、と心に唱えて階段を降りたときに尚太郎と出くわした。

                   

 疫病神の武雄の友人らしき男と朝一番の会話をしたことでイヤな予感はした、そして面接は落ちた。

【つづく】

令和2年6月5日